ユメリアコンサルティングをお薦めします!

寺尾 曉彦 社長 (株式会社サワチカ、高知県)

株式会社サワチカ 代表取締役 寺尾 曉彦氏にユメリアコンサルティングのダイヤモンド財務®コンサルティングを導入した経緯とその効果について詳しくお聞きしました。

株式会社サワチカについて

(株)サワチカは、清流 四万十川で知られている高知県四万十市で、アルミサッシ(ガラス)を中心に、エクステリア、住宅設備機器などを販売施工している会社です。設立は昭和27年(今年で65期)、年商3億7000万、従業員数19名。アルミサッシ・エクステリアについては同地区の一番店です。

※この事例に記述した数字・事実はすべて、事例取材当時に発表されていた事実に基づきます。数字の一部は概数、およその数で記述しています。

高知県四万十市の一番店

四万十川風景
-サワチカについて教えてください。

サワチカは、昭和27年に祖父が興した会社です。商売人だった祖父は、戦後の混乱期に様々な商売を手がけ、最終的に「これからはガラスが売れる!」と確信し、サワチカを創業しました。その読みは当たり、高度経済成長の波に乗ってサワチカは成長しました。

そして昭和63年に父が後を継いで2代目となり、今年平成29年には私が3代目として社長就任しました。

日本地図 高知

弊社の商圏となる高知県西部、幡多地区は周辺人口が8万人程度。四万十川の自然は有名ですが、基本的には産業の少ない田舎町です。人口減少や高齢化が進んでおり、会社を永続させるには、経営基盤のさらなる強化及び新しい事業展開が必要です。

ちなみに、四万十市は全国でも屈指の「東京から遠い場所」です。舘野先生のコンサルティングは東京丸の内で受けていますが、家を出て現地に着くまで、ゆうに8時間はかかります。つまり時間距離でいえば沖縄より遠いわけです(笑)。

就職間際におばあちゃんがアパートに来る

-寺尾さんが「自分は3代目としてやがて会社を継ぐんだな…」と自覚したのはいつ頃ですか。

小学生の頃にはなんとなく「自分は家を継ぐのかな…」と感じてはいました。でも親から「将来はお前が継ぐんだ」と言われたことはなく、感覚も次第に薄れていきました。

就職活動は、住宅メーカーや家具メーカーなど数社を受けて、「家業と関わりの深い住宅建材メーカーA社」と「家具メーカーS社」から内定を得ました。最初は家具メーカーに入社しようかと思っていました。住宅建材より家具の方が好きだったし、神戸に住み続けたいとも思いましたし。

でも四万十の実家にそう伝えたら、すぐに、おばあちゃんが神戸のアパートまで来たんですよね。その時、「70代後半のおばあちゃんが何時間もかけて一人で神戸まで来た。つまり、おじいちゃんが作った会社をオレに継いで欲しいんだな。」と悟りました。家具メーカーには断りの電話を入れて、住宅建材メーカーA社に入社しました。配属されたのは四国の高松市です。

入社後、営業に配属されました。入社当初は知識がないので、販売店でお昼を一緒に食べたり、休みの日に先輩に会ったりして、教えていただきました。仕事に慣れた3年目以降は新規開拓に力を入れました。

将来のことで思い詰めてしまう

-A社には何年いたのですか?

5年間です。その後、担当先の販売店の社長から「うちでやっていかんか?」と声を掛けていただき、家業を継ぐ前提でお世話になりました。仕事は高松新店の立上げです。お店のマネジメントも含め、貴重な経験となりました。

ただこの頃から急に恐怖心が芽生えました。当時二人目の子供が産まれたこともあり、思考が妙に現実的になって、思い詰めてしまったのです。悩んだあげく最終的に「俺はサラリーマンとして生きていく。営業なら自信がある。親孝行は何も会社を継ぐことだけじゃない。」という結論になりました。と同時に、何かリセットしたい、まったく違う業界で一からやってみたいという気持ちが芽生えました。

そんな時、ネットで登録していた転職エージェントから連絡があり、「日本トップシェアの医療機器メーカーの求人がある。寺尾さんに向いてると思う。受けてみませんか?」と誘われました。給料や待遇も良く、医療業界で安定していそうです。業界が変わっても自分の営業力ならやっていけるはずだと、妙な自信もありました。面接を受けたところ、結果は合格。その会社に転職することに決めました。

寺尾社長

実家に帰って「家業は継がない」と宣言

-このときは「将来、実家を継ぐ」ことをどう考えていましたか。

この転職と同時に「実家を継がない」とはっきり決意しました。実家に帰り、両親と姉の前で「実家は継がないことに決めた」と伝えました。話が曖昧にならないよう、手紙も渡しました。バカなことをしたと今では思いますが、その時は真剣というか思い詰めていたわけです。両親は何も言いませんでしたが、きっとショックだったろうなと思います。

-後ろめたい気持ちはありましたか。

はい、相当にありました。でもその時は自分の決断を優先させました。サラリーマンとして頑張り、家族を養って、親にも恩返しする、その考え方で間違いないんだと自分に言い聞かせました。

夜の駐車場で転倒し、朝まで気を失う

-新会社での仕事生活はいかがでしたか。

苦戦の日々でした。建築業界で養った営業のウハウは、医療業界ではほとんど役に立ちません。仕事は毎日夜遅く、休日は資格の勉強でほぼ潰れます。妻や子供との会話もなくなり、家庭は崩壊寸前でした。

そんなある日、真夜中の駐車場で転倒し、ブロックに頭をぶつけて、そのまま朝まで気を失うという事故を起こしてしまいました。病院のベッドの上で、「オレ、何やってるんだろう。あれだけタンカ切って、実家は継がないと宣言したのに、仕事も家庭も上手くいってない…」と情けない気持ちになりました。

この時は、さすがに親も心配して「帰ってこい」と連絡もありました。妻にも「今の会社だけは辞めてほしい」と言われました。ただ私としては、ここで帰るのは格好悪すぎると躊躇しました。

それからグルグル終わりない自問自答が続き、最後の最後は、上手く言えないのですが、開き直りました。父に「実家を継ぐ」と伝え、四万十に帰り、サワチカに入社しました。これが5年前、31歳のときです。

寺尾社長

1億円の新規開拓、財務へのめざめ

-実家に帰ってサワチカに入社し、まず何をしましたか。

従業員さんと信頼関係を作るところから始めました。アルミサッシの加工や組み立てなど一緒に汗を流しました。そして2ヶ月後には営業として新規開拓を始めました。これと並行して、従業員さんと飲みにいき、「いい会社にしたい、力を貸してください。」と頭を下げました。その後、1億円の売上を上積みし、会社全体でも1.4億円売上純増できました。本当に従業員さんには感謝しています。入社して2年目34歳のときに父と話し合い、「3年後、父が70歳になったら私が社長に就任する」と合意しました。

しかし当時の私には、重要な能力が欠けている自覚がありました。それが「社長としての財務能力」です。たしかに売上は右肩上がりに伸びました。しかし売掛商売なので、売上の伸びは手元現金の減少につながります。売上げ増と運転資金のバランスを取るための、根本的な財務知識が必要だと感じました。

ユメリアコンサルティングを知る

-当時は財務について、どの程度の知識をお持ちでしたか。

それほど深くありませんでした。P/Lはともかく、BSの理解はかなり浅いものでした。サラリーマン時代に取引先の与信調査はしていましたが、それも粗利や営業利益、借入れ月商比率などをさらっと見る程度の「粗い査定」にすぎませんでした。

しかし社長に就任するからには、自社のBS/PL、資金繰り表を読み解いて、何が問題なのか、どこを改善するべきなのか、判断しなければいけません。また銀行とも私が交渉することになります。このままではいけないと、まずは本を買い込んで読んで勉強しましたが、手応えは今ひとつでした。

そんなある日、人づてに知ったのがユメリアコンサルティングです。「同族会社専門の財務コンサルティング」という言葉を見て、「自分のためのサービスだ」と思いました。ホームページは隅から隅まで読み込みました。コラムを印刷して親にも読んでもらいました。

そして、さっそく東京開催のセミナーに申し込みました。

セミナーの印象

-セミナーの印象はいかがでしたか。

舘野先生の話を聞きながら、「これこそ自分が学びたかったことだ」と思いました。3時間のセミナーの後、すぐ個別相談に申し込みました。

個別相談の内容も充実していました。先生の回答は精神論ではなく、確固たる理論と経験に基づいています。会話のキャッチボールをしていて、「この人、できるな」と納得できました。

どうせ習うならホンモノの先生から習った方がいい。月に一回のコンサルティング、四万十から東京まで行けば片道8時間の大旅行(?)になりますが、その価値は十分あると思い、正式にコンサルティングを申し込みました。

それから月イチで東京に通い続け、この9月で一年間のコンサルティングを終えました。

寺尾社長と館野代表

コンサルティングへの評価

-実際に経験して分かった、舘野のコンサルティングへの感想をお聞かせください。

まず「個別コンサルティング」は非常に良いと実感しました。グループコンサルティングやセミナーは結局、「一般的な話」です。しかし密室での個別相談なら、一対一で「こみいった話」ができます。

舘野先生には、会社の決算書を見せて、それを分析し、問題を解決するための急所、つまり「ここを正せば、他の問題も付随して片付いていく」という点を見つけていただきました。とにかく全てが「一般的な解説」ではなく、自社の問題を具体的に解決するための「オーダーメイドの解説」であるわけです。

先生が「東京の人」というのも助かります。地元で「こみいった話」をしていると、その情報が、どこにどう曲解されて伝わるか分かりません。その点、遠く離れた東京のコンサルタントと話をするのなら安心感があります。

1年間のコンサルティングを終えて、自社の進むべき方向性について、精神論や一般論ではなく、「財務的な根拠」を以て明確に把握できました。今は銀行との交渉も、社長として自力で対応できます。

寺尾社長、笑顔

今後の抱負

-今後の抱負をお聞かせください。

まだまだ学ぶべきことはまだまだあります。しかし、「社長としての最低限の財務知識」は何とか習得できたと考えます。ここで学んだ事を生かして、サワチカをさらに地域やお客様を豊かにできる会社、全社員が豊かな会社となれるよう頑張っていく所存です。舘野先生には今後も経営サポートを依頼していきます。引き続きよろしくお願いします。

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