ユメリアコンサルティングをお薦めします!
実際にコンサルティングを受けられた同族社長さん方による「ユメリアコンサルティング株式会社 舘野愛」の評判・評価・感想などをご紹介しています。
次は、あなたが「ダイヤモンド財務」で事業永続のカギを手に入れる番です!
大竹 順 社長 (大和鋼業株式会社、大阪府)
大和鋼業株式会社 代表取締役 大竹 順氏にユメリアコンサルティングのダイヤモンド財務®コンサルティングを導入した経緯とその効果について詳しくお聞きしました。
大和鋼業株式会社について
大和鋼業は化粧品や食品の工場で使う、衛生圧力容器を製造する会社です。容器は最大で、高さ4メートル、重さ5トンに及びます。設立1939年、従業員数16名。年商2億2000万円。
※この事例に記述した数字・事実はすべて、事例取材当時に発表されていた事実に基づきます。数字の一部は概数、およその数で記述しています。
気がついたら数億円の連帯保証付き債務も引き継いでいた
- 大竹社長が会社を継ぐことを意識し始めたのはいつ頃からですか。
小学校のときです。私が一年生のとき新社屋が建った。新しい工場、大勢が集まる落成式、かっこいいなと子供心に思い、学校の作文でも「将来の夢は大和鋼業の三代目!」と書いていました。
ただ高校大学と進むにつれ、気持ちが変わった。できれば継ぎたくないと思い、卒業後は福岡の一般企業に就職しました。ところが就職して2年目、母が大病を患った。父は落胆し「帰ってきてくれ」と私に言う。これは帰るしかないと観念し、27歳で大和鋼業に入社しました。
私が入社すると同時に営業部長がやめました。父からは「おまえ、かわりに営業やってくれ」と頼まれました。会社のことも製品のことも何も知らない。でも、やるしかない。とにかく取引先に挨拶にいきました。
すると「あんたが来るのを待ってたんや」と歓迎されました。「私は入社したばかりで何も知りません」と正直に告げても、「それはいいから」と図面を渡され、「これ、作って持ってきて」と頼んできます。「今さら大和さん以外のどこに頼んで良いかわからんし」とのことでした。
その後も取引先に行くたび、知らない人に「おやじは元気か~」と声をかけられる。一度、仕事で大きなミスをしでかして、担当者に大叱責されたときも、祖父をよく知っていたという役員が同席し、取りなしてくれた。父も祖父も、すごい信用を築いてきたんだなと実感しました。
そして37歳で社長に就任しました。そして、このとき、数億円に上る連帯保証つき債務も、知らない間に、引き継いでしまいました。
債務を引き継いでしまった経緯
- 「連帯債務を知らない間に引き継いだ」とは具体的には?
社長就任になると同時に銀行が挨拶に来て、分厚い契約書を机の上に乗せ、これに捺印願いますという。とにかく押し続けました。
後から父に聞くと「ウチは同族会社だ。社長はガンガン稼げ。だが責任も全部しょいこめ。社長が連帯保証人になるのは当然だ。これからはおまえが連帯保証人だ」といいます。こうして私は数億の債務の連帯保証人になりました。
しかしこの借金、舘野先生のコンサルを受けてから分かったことですが、借り方がよくなかった。債務は膨らむ一方でした。実際、返済が滞る一歩手前までいき、父は「これが最後のゴルフになるかもしれない」と覚悟したこともあるそうです。
連帯保証人になることの重さ、何となくは知っていました。だが実際に自分がなると重さはひとしおだった。えらいことやってしもたと思いました。わたし、経営者向け生命保険も入りました。例の「自殺でも保険金が下りる」というアレです。
会社の数字が分からない…
- 当時、社長は「会社の数字」や「会計」の知識はありましたか。
いえ、ぜんぜん。損益計算書は何となく分かる。売り上げがあって、経費を引いて、最後は利益?みたいな。でも貸借対照表の方は、何が何だかさっぱりでした。
ただ、借入金が多くてヤバいというのは、ひしひし実感する。社長になってからは、「もう借入はしない」と心に決め、つなぎ資金が必要なときは手形を割ってお金をつくってました。
だが、それをしたとて今までの借金が減るわけではない。苦しい。何とか連帯保証を外したい。そんなとき、とある中小企業向けコンサルタントが、「社長の連帯保証の外し方」という情報を出していた。
その情報のとおりやってみたら、本当に連帯保証が外れました。その後も、それを繰り返し、連帯保証は半分ぐらい外せました。
以前に比べれば、ひと安心です。だがまだスッキリしない。だって連帯保証を外せたといっても、本の情報を分けも分からずやってみただけのことで、自分に数字の知識がないことは相変わらずだからです。
それに保証が外せても債務は依然、残っている。きちんと経営して返していく必要がある。この先、会計の知識なしにやっていけるとは思えない。
とりあえず本を買って勉強しようとしました。だが今いちわからない。わたし、セミナーは大好きだし、勉強意欲、学びの意欲は普通にあると思うのですが、でも財務みたいな「理屈」の勉強はやっぱり苦手でした。
そんなとき、facebook広告で舘野先生のことを知りました。「同族会社向け財務コンサル」という謳い文句を見て、これは自分のための情報だと思いました。さっそくセミナーに出てみました。
セミナーの印象
- セミナーはいかがでしたか。
正直言うとですね、内容はよくわからなかった。でも、それで余計に危機感がつのった。これ、社長として、ちょっとヤバすぎる。絶対、ちゃんと勉強しないといけない。
そう考えて、グループコンサルティングに申し込みました。これが2020年の7月。それから月に1度、上京して、石川県のクルマ屋さん、福島県のお米屋さんなど、異業種の社長といっしょに、一年間みっちり勉強しました。
グループコンサルは目からウロコの連続
- グループコンサルティングはいかがでしたか。
今度はバシバシ理解できた。目からウロコの連続でした。自分の会社の数字を見ながら、自分の会社を具体的に良くするために勉強する。この姿勢だと理解が進みます。
舘野先生は、良い悪いをハッキリ言うからいい。私、それまで何となく「資産は大きい方がいい」と思っていました。だって資産だし、多い方が立派だよな~と。この考え、舘野先生には即座に却下されました(笑)「ありえない、絶対ダメ」と。
この調子で、座学と個別相談と宿題を繰りかえし、自社の決算書を「誰に見せても恥ずかしくないキレイなもの」にするよう頑張りました。そして、グループコンサル途中の3月に決算書ができた。
その内容が帝国データバンクなどを通じて、金融機関の目に触れることになった。すると信じられないことが起きました。
驚きの電話
- 何が起きたのですか。
金融機関から次々、電話がかかってくる。そして「無担保・無保証でいいので融資させてほしい」と言ってくるんです。最初は何が起きたのかよく分からなかった。資金の必要はなかったので、とりあえず断りました。それでも電話がかかってくる。
取引のない銀行からも飛び込み営業的に電話がかかってくる。しだいに分かってきました。そうか、銀行は優良な融資先を探してるんだ!と。
父の代、そして私が会社を継いだ最初の頃は、決算書の内容も良くなく、担保と連帯保証がないと融資してもらえなかった。
しかし、決算書が改善されると、世界が変わる。良い意味で手のひらを返すかのように、向こうから融資を申し入れてくる。本当にびっくりしました。
次の目標
- 現在の数字や会計への理解度はいかがでしょうか。
まだまだです。でも自分の会社の数字なら、実用範囲で読み解けてきました。他の会社の決算書も、少しなら分かります。
経営者の集まりなどで、「ここが改善の余地があるかもしれません。なぜならば…」なんて指摘できるようにもなった。ちょこっと気分がいいです。
銀行が私を見る目も変わった気がします。「そんなところに着目しているのですか?」と感心されることもある。これからは、自分の会社の数字を、金融機関相手に自由自在に説明できるようになりたい。そのためにも、もっと勉強します。
先日、連帯保証はついに全てが外せました。肩の荷が下りました。でも、ここで気を抜いてはいけない。今は、たまたま世の中がこういう状況で、自社の業績も悪くないので、銀行が融資をすすめてくる。
でも、世の中の風向きはまたきっと変わる。そのとき、私が数字が何もわからないままだったら、また「保証付き担保ありなら融資します」と言われるかもしれない。
そうはさせない。これからも、良い経営、良い決算書を継続し、世の趨勢に動じることなく、連帯保証なしの融資を得る、そう決意しました。
先輩ユーザーからのアドバイス
- 現在、舘野のコンサルティングを受けることを検討している経営者に向けて、先に経験した立場からアドバイスなどあればお聞かせください。
アドバイスは「宿題は絶対やってください」、ですね。宿題、けっこうキツイです。実は、私、ときどき手を抜いてた。でも、そうすると、やっぱり学びが薄くなる。
それじゃコンサルを受けている意味がない、お金を払っている意味も薄くなります。これから参加する人には「めんどうでも宿題をきっちりやる」ことを強くおすすめします。
舘野先生、ここまでありがとうございました。これからさらに数字の勉強をして、ウチの会社をもっと良くしていきます。今後ともよろしくお願いします。